日々のあれこれたどり着いた視点

 車を運転していて、後ろを走っていた車が脇道に入ったなと思ったら、その道の先で前に割り込んでくる。なんだかムカっとする。目の前で信号が変わって、私だけ止まる羽目になったなら、なおのこと。

 時間の余裕は、たっぷりあるのに。

 スーパーのレジに並んでいて、店員さんが手間取っているのが見える。小銭を出すのに時間がかかっているお客さんがいる。そうやって、自分の列がなかなか進まないときも、イラッとする。隣の列がどんどん進んでいくのが羨ましいような、悔しいような…。

 別に急いでないのに。

 そして、隣家のエアコンの排水が、我が家の方へ流れて来るのが今日も許せない。(関連 水に流せない)

 戦争を起こす根元にあるのって、こんな気持ちなんじゃないかな…。

日々のあれこれ歳時記

 散歩をしていて、思い出しました。

 子どもの頃は、こんなことが嬉しかったのです。

 生まれ育ったところでは、土の黒や、そこから芽吹く緑色を久しぶりに見るのは、4月の半ばになってからでした。

 圧倒的に白の多い、一面のモノクロの世界に、やっと色彩が戻って来たようで心が弾みました。

 小さかった私は、陽当たりの良い、庭の隅で見つけた小さな芽を、毎日毎日見に行って、春の訪れを確かめたのでした。

 「北海道は猛吹雪」というニュースを心配して連絡を取ると、「思っていたほどではなかった。」と言いますが、そもそもの想定が高いだけで、そこそこ降ったようです。

 毎日土を見て、他の季節よりも少ないながらも緑に囲まれて、花だって咲いている色彩豊かな冬をずいぶん繰り返してきました。

 それが当たり前ではないことを思い出して、小さな幸せに、もっと感謝しなくちゃなぁ…。

子どもたちのこと

 「お母さんのことを一番分かっているのは、お姉ちゃんかもしれないけど、おれが一番、お母さんのことを“想って”いるんだよ。」

 長男が、小学校の高学年のある日、私と長女の会話に入ってきて、こう主張しました。

 そのときは、長女と女同士の共感で、「さすが、分かってくれているんだね。」などという会話をしていたと思います。

 そんな姿に、やきもちを妬いたのかもしれません。

 はて…。私は、こんな“大告白”に、何と返したのだったか…。

 とうに成人し、毎日、仕事に明け暮れている長男も、こんなときがあったことなど忘れてしまっているでしょう。

 あの日の健気な“想い”もまた、心の中で、優先順位の下の方に埋もれているに違いありません。

 それでも昨日、雪予報を警戒して、朝、職場まで送り届けてくれました。

「帰りは公共交通機関で…。」と、覚悟していたのに、退勤時間を合わせて、迎えに来てくれました。