子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 子どもが三人もいると、頼み事をしやすい子が一人はいるものだ。我が家の場合、それは長男。

 長女のように言葉巧みに逃げる器用さもなく、末の息子のように頼りなくもない。

 そうやって「お願い」を重ねているうちに、いつの間にかいろいろなことを覚えて、「困ったときに頼りになる奴」に育ってくれた。

 中でも特に進んで手伝ってくれるのはカレー作り。

 「堂々と刃物が使えるから。」とは、それらしい理由だが、実はそれだけではない。

 その日も、大きめに切った肉を炒めるとき、さりげないアイコンタクトを取り合いながら長男がガスコンロの前に立った。

 程よく肉に焦げ目がつき、いい匂いが立ち込めた頃に、私はそっと箸を手渡そうとした。いつもの、“つまみ食い”用の…。

 すると、その日は何も言わずに首を横に振り、ニヤッとしながらポケットからつまようじを取り出した。そしてそれで、おそらく炒めながら目星をつけておいたのであろう、中でも大きめの一切れを突き刺し、パクっと頬張った。

 熱さでしばらくあふあふしていたが、そのうちに、その顔はみるみる笑顔になる。私が目で「おいしい?」と合図を送ると、笑顔のまま首を大きく縦に振る。私もまた、この瞬間を毎回楽しみにしているのだ。

 カレーを作るたびに、台所でこんなやり取りがあることを他の二人は知らない。ときには損な役回りを引き受けてもらっている感謝の印として、ささやかな秘密を共有する楽しみがあってもいい。

 それにしても、つまようじ持参とは、要領が良くなったものだ。

 お人好しで「イヤ」と言うのが苦手。

 生きるのに不器用なのではと心配したが、決してそうではないかもしれない。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

頼んだら、張り切って描いてくれました。本の挿し絵になるとは思ってもみなかったことでしょう。そして、今でも知りません…

日々のあれこれ

 今朝、何かがリセットされた

 日曜日だというのに、6時半に目が覚めた

 ベランダに飛んできていた枯れ葉を片付けた

 土曜日の恒例行事にしている掃除を、早い時間に終わらせた

 シーツを洗って一番陽の当たる場所に干した

 観葉植物に水をたっぷりとやった

 昨日の新聞の、別刷りに載ったパズルを解いた

 昨日は二度と繰り返したくない一日だった

 半日以上を病院で過ごした

 全くの予定外

 孫に会いに行く約束も果たせなかった

 健康診断に引っかかって、義務を果たす感覚で向かった再検査

 30分で終わるはずだった

 近所のクリニックで受けたが、思わしくない結果が出て大きな病院へとハシゴした

 2時間以上待って、血を採ったあと、機器を使う検査を2つも予約した

 来週と、もう一つは11月

 長い間拘束されるようで気が重くなった

 でも、ホントのところは自業自得

 週末のアルコールが美味しすぎて、ついついと量が増えた

 胆嚢の不調が続いて、医師から「取るという方法もありますよ」と言われたのに、上手に付き合っていけるからと取り合わなかった

 そんなおめでたい生活の副産物に違いない

 せっかくの週末なのに、自分のしたいことが全く出来ずに日が傾いていった

 もったいない一日だったと思うほどに落ち込んでくる

 何かのせいにしたくなる

 これが“不成就日”の実力なのか…

 こんな時って、できなかったこと、しなければならないことを数えてしまう

 早起きができたことに気を良くして、昨日の積み残しを次々とこなしていく

 どれも、それほど時間がかかることではないので、もつれた毛糸がほどけるように時間の流れが整っていく。

 今日は“一粒万倍日”らしいし!

 ちょっとしたことがきっかけで、「さあ、ここからはじまるぞ」と思えることがある

 こんな感覚、子どもの頃によくあったなぁと思う

 夏休みの初日

 カーテンを開けると雪景色だった朝

 風がひんやりして、枯れ葉の匂いがする朝もそうだった

 緊急事態宣言の解除で華やぐ街や店の報道を横目で見ながら、私の生活スタイルは、ハジケない方向にシフトしていく必要があるのだと、晴れやかな秋空を眺めながら覚悟した

ルコウソウは、可憐な野の花ですね。北海道では種をまいて世話をしても、うまく育ちませんでした。

アルバムを断捨離

 ロードオブザリングでは、邪悪の象徴だった二つの塔。

 我が家の物入れでは、決して悪ではないけれども、常に頭を悩ます種だった二つの塔。

 130cmくらいのが二つ。重さはきっと100キロ超え。

 しかし、ある日の一大決心と、継続という力が実を結び、ホビットの旅と同様に、約一年で完結の時を迎えることができました。

 (あんなに辛い旅ではありませんでした。ごめんなさい。)

 途中に夏の休暇や正月休みなどの連休もありましたが、ペースは変えませんでした。

 負担を大きくしたくない気持ちもあったのですが、何よりも、拙速に陥りたくありませんでした。なんたって、中身は大切にしたい思い出ばかりなのですから。

 始めた日、完了した日、共に手帳に記録されていました。ホントに丸一年!

 我ながら頑張りました。

 手元に残った「選ばれしもの」たちを見て思います。

 写真というのは、その場にいた者にとっては、それ自体に価値があるというよりも、その瞬間を思い出すための栞なんだな。

 その思い出を愛しいと感じる人が、必要な分だけの栞を持っていればいいんだ。

 一年間の旅は私にそんな教訓も残しました。

 アルバムの断捨離方法は、他にもいろいろあるようです。

 この一連で書いたことは、私が自分の価値観に背かないように考えた一つの方法です。迷っている、悩んでいる方の一助になれば幸いです。

ピピンとメリーを運んだ木みたい