同じ空の下母の一世紀

「生きてりゃ、きっと良いことがあるからな」

 父のもとへ、訳あって後妻として入った母に、舅である祖父がそう言ったという

 その日、母は祖父らと一緒に田んぼで農作業をしていた

 長男である伯父は健康上の理由で農家を継げず、代わりに次男である父が継ぐことになったと聞いている

 その伯父が、仕事をしている田んぼに夫妻でやって来て、何やら頼み事を祖父に持ちかけていた

 伯母の服装は、緩やかでスカート丈の長いワンピース  こんなに忙しいときなのに、手伝おうという気はさらさらないと、一目で分かる様子だった

「こんな忙しいときに来るな」

 不機嫌に二人を追い返した後で、祖父が母に言ったのが、冒頭の言葉だった

 あまりにも対照的に、汗と土と埃にまみれて働いている母へ、精一杯の慈しみを込めていたに違いない

「嬉しかったな…」 母は最後に、そうつぶやいた

 祖父らしいなと思う

 ものごとを多角的に見ている人だった

 こんな風に、母はふと思い出したことを話すことが増えた

 夏に帰省する半月ほどの間に、今まで聞いたことのなかった思い出話がぽつりぽつりと出てくる

 それまでの長い間の沈黙を思い、心が揺れる

「生きてりゃ、きっと良いことがあるからな」

 もちろん、良いことはある

 孫やひ孫が遊びに来る

 デジタルアルバムに写真が届き、離れているひ孫の成長も見守ることができる

 それでも、長い沈黙がある

 父は病気のせいで施設に入り、こんな状況下で会えない日が続いている

 血が繋がっておらず、気遣わしいながらも、何だかんだと寄り添いあっていたねえちゃんにも先立たれてしまった

「生きてりゃ、きっと良いことがあるからな」

 大好きだった祖父がそう言ったのなら、それは実現しなければならない

 私の手で (関連 繋がった空の下で

同じ空の下母の一世紀

 この空は、やはり繋がっていました

 空港をするりと飛び立った飛行機は、何かの壁を越えるでもなく、バリアになった地帯を通り抜けるでもなく、滑らかに飛び進んだ末に、すーっと旭川空港に着陸しました

 今回はいつもの飛行ルートではなかったようで、実家や、私が子どもの頃に冒険した山々を見下ろせる位置を通過するという“特別サービス”までついていました (関連 子どもの時間はゆっくり流れる )

 実家には母が一人で住んでいます

 田畑を管理している甥がほぼ毎日顔を出していますが、夕暮れは一人で迎えます

 八人の大家族、そして、お盆やお正月には20〜30人の親戚が引っ切りなしに出入りした、いわゆる“本家”を、ほとんど一人で切り盛りしていた者の晩年としては、ホッとしながらも、寂しさの方が大きく感じられるのは無理のないことです

 私は今回、一つの決心をして帰省しました

 一年半後、今の仕事の定年を迎えたら、一度北海道に戻り、母と暮らそうと

 その時、一緒に庭いじりや野菜づくりができるように、今できることを思いつく限りやっておこうと

 そんなふうに息巻いても、出来ることは限られています

 花壇を整備して新しい花を植えられるようにしました

 庭木の枯れ枝を大胆に切り落として、光が入るようにしました  ついでに、剪定にチャレンジしてみたら、思いのほか楽しんでいる自分がいました

 放置されていた切り株を掘り起こすなど、大がかりなことをすると、さらに楽しくなってきました

蔓性の植物の根を掘り起こしたら、龍の頭みたいだったので
かっこよく撮ってみました ☺️

 こんな調子で、二週間は、あっという間に過ぎ去りました

 「あと一年半」「冬が二回」それを合言葉のように、お互いに励まし合い、周囲の人にもお願いして、後ろ髪を引かれながら空港へ向かいました

 私の倍以上も手早くパワフルに草取りをしていた母のこと  そのくらいは楽に越えられるだろうと、ポジティブに考えても良さそうなものなのにと自嘲しながら…

 帰りの飛行機も、ひとつづきの空を、何事もなく滑って行きました

 確かに繋がっている

 でも、そこには鉄の翼を乗せられるくらい密度のある大気があって、声を出してもあっという間に吸収されてしまいます

 地球の丸みが、見えていたものをどんどん地平線の向こうへ沈めてしまいます

 こんなに速い乗り物に乗っても、2時間近くかかるほど、結局は遠いんだなぁ

 身勝手に焦って、物事を前向きに考えられない私の前に

 「おかえり」が聞こえました

 電車を乗り継いで、自宅へ向かいながら、馴染みの風景に出会います

 バスを降りて、見慣れた道を歩くうちに、

「私には、まだここでしなくちゃならいないことがあるんだ」

 やっと、そう思えるようになってゆくのでした

同じ空の下導いてくれた歌

 「同じ空の下」で検索すると、高橋優さんをはじめ、「名前がかぶってごめんなさい」と謝るしかないレベルで、才能溢れる皆さんの曲や作品が表示されます。

 サイトを立ち上げたのが2019年の秋なので、明らかに便乗した感じになってしまい、さらにごめんなさい。

 立ち上げ当初に、祖父が亡くなったときに打った弔電が、サイト名の由来になったことを書きましたが (関連同じ空の下 )、その元になったイメージをくれたのは、安全地帯の「夢のつづき」という曲でした。

  あの日そろいの帽子は どんな街角にいても

  一つに広がる 空を知っていた

 1980年代のアルバムに入っていた曲だと思いますが、玉置浩二さんの、囁くようにな歌声が心に語りかけます。

 大切な思い出を、あまりにも丁寧に、こんな視点をもって表現できるんだと、心がふるえました。

 この機会にとYouTubeで探したら、色々なバージョンで公開されたものがありました。

 私はやはり、初期のシンプルなものが好きです。

アマリリスです。ひと株から、花芽が二つ出ました。良い春になりそうです。