日々のあれこれ母の一世紀

 少し大げさでした  すみません

 淡々と投稿を続けるのも、結構、性に合っているのですが、ときどき変化が欲しくなります

 今回、タグの種類を一つ増やしました

 ね、細やかなことでしょう…

 “母の一世紀”としました

 これも、少々大げさです

 今年88歳になった母には、一世紀は10年以上も遠い金字塔です

 読んでくださる方は、“ざっくりと”で、ご理解ください

 これまでの投稿にもタグを付けて、辿れるようにしましたので、過去記事も読んでみてください

 母のここまでの人生が、決して穏やかなものではなかったことは、度々書いてきました

 それでも、私たち子どもや、孫、そして今、ひ孫たちにも、溢れるほどの愛情を注ぎ、幸せを願ってくれています

 その背景にある、子どもの頃の、思い出したくもない経験や、父の元へ後妻として来る前に、辛い結婚があったことを私が知ったのは、すっかり成人してからでした

 “波乱万丈”なんて言葉を使ってしまうと、またしても大げさになってしまいそうなので避けますが、自分の境遇を淡々と受け入れて、その中で幸せを見つけながら、精一杯生きてきた母の足跡を、他の誰かにも知って欲しくて、新規のタグを使ってまとめることにしました。

 上記の、子どもの頃の話、一度目の結婚については、まだ文として上げていません  随時と考えていますので、ご了承ください

初めて、二つ同時に花芽をつけたキンセイマルが…
咲きました!

日々のあれこれ導いてくれた歌

 もう一度会いたい人がいる

 いつかまた、会える日が来るのかな

 ♪“その答えが 待つ日まで 知らないままで ただ息をする”

 Official髭男dismの「Chessboard」です

 いつも、予想を超えてくる…

 歌詞にメッセージ性が強く、この曲も、さまざまな事情を抱えた人への応援歌です

 最後のフレーズに至ったとき、囁くように、“知らないままで ただ いき…”と語りかけてくるので、頭の中で勝手に、“生きてゆく”とか“生きてゆこう”と歌い続けようとしてしまいます

 曲のはじめの方に、同じようなフレーズがあるにも関わらず…

 そんな私の思い込みを静かに押しのけながら、“息をする”と結ばれます

 ふっと肩の力が抜けます

 “生きてゆく”よりも、遥かに難易度が低い…

 “息をする” のに、それほどの覚悟も決意もいらないもの

 国営放送で、国民みんなのうたとして歌われています

 学生の合唱コンクールの課題曲として選ばれ、歌詞を噛み締めた者もいたでしょう

 そんなに頑張らなくても、「ただ静かに呼吸をしていればいいんだよ」と、生きていることを全肯定してくれるメッセージ

 夏休み明けが近づいて、不安を抱えている中で、救われた子もいたでしょう

 こんな詩を書ける人は、きっと何十年もの悲喜交々の経験を積み重ねた熟練者なのに、しれっと30代の皮を被っているのでしょう

 ごめんなさい、褒めています

共感してくださる方は、ぜひ、こちらもどうぞ

頭がいっぱいもしくはアポトーシス

青い池の近くには、こんな観光名所もありますよ

日々のあれこれたどり着いた視点

 「ストライキ」

 久しぶりに聞いた

 そして、している人たちを久しぶりに見た

 私が就職した頃は、いろいろな企業が年中行事のようにしていたなぁ

 私も、職場に出なかった日があったもの

 そうやって、少しずつだけど、給料が上がったり、働く環境が改善されたんだと思う

 あの頃は、もっと世の中に与える影響力があった

 今は、ストライキにしても、最近でもよく見るデモ行進にしても、伝えたい相手に届いている気がしない

 そう、あの頃の“受け取る側“には、こちらの“困り感”を察してくれる想像力があった

 こちらの要望を受け入れようとする懐あった

 今は、どう?

 聞く耳なんかない

 時間とエネルギーを割いて、自分だけでなく社会や未来のために行動している人たちの覚悟なんか、分かろうともしない

 その場しのぎの、差し障りのない言葉を並べた回答は、的はずれ

 都合の悪い状況が、時間とともに過ぎ去って行くのを、目を逸らしながら待っているみたい

 ストライキがあって、不便で困っているのは同じ立場の市民…

 相手が“交渉しがいのある相手”であることが、これらの必要最低条件なんだな