日々のあれこれたどり着いた視点

 孫がもうすぐ一歳になります。

 娘が毎日のように写真や動画を送ってくれるので、日々の成長をほとんど見逃すことなく、目を細めて見守ってきました。

 娘が生まれた頃は、セクハラやマタハラなんて言葉はもちろん、そんな態度には問題があるという意識も浸透していませんでした。

 職場に産休を申し出るのも、一年間の育休を希望するのも、罪を告白してでもいるかのように後ろめたかったものです。

 育休中に二人目を考えていることが話題になったときには、明らかに歓迎していない様子で、嫌味を言われました。

 それから30年経った今はどうでしょう。

 あのとき嫌味を言った上司も、気遣わしかった同僚も、どこで何をしているのか知りません。お互いの幸せを願う必要も、当然ありません。

 一方、あのとき生まれてきた無力だった娘は、ずっと私に寄り添い続けてくれました。

 よき理解者として、頼りにすることもあります。

 毎日の張り合いになるような、可愛らしい姿を届けてくれます。

 意識の改革が進んでいる今でも、女性にとって出産や育児のリスクは大きくて、周囲の理解が得られず辛い思いをしている人が多いと聞きます。

 でも、これから生まれてくるのはただの無力な新生児ではありません。自分の人生に彩りをくれる、可能性の種です。

 自分の人生にとって、隣の席から飛んできたコショウの粉くらいの影響しか及ぼさない「誰か」にとっての不都合などに、気を遣う必要はないのです。

 何十年か先の自分の人生に、どんなメンバーがいたら楽しいかな…、幸せかな…、と考えてみてください。

 100年にも満たない人生の中で、今、いちばん大切にしなければならないものが見えてくるはずです。

日々のあれこれ

 昨日、洗濯機のフタを開けたら、雪景色だった。

 洗濯物の底から、メモ帳の表紙と半分程残った用紙の束が出てきた。多分、再生紙で、他は見事にこなごな…。

 そしてそれは、息子が仕事中にいつもシャツの胸ポケットに入れて、かなり頼りにしていたものだったらしい。

 息子の部屋から拾い上げたシャツを無造作に洗濯機に放り込んだ手前、責任を感じてひたすら謝った。私が落ち込みながら、紙くずの処理に追われているのを気遣ったのか、自分にも責任の一端があると思ったのか、怒るでもなく責めるでもない反応に少しホッとした。

 網戸の向こうからは、ご近所の声が漏れ聞こえてくる。

 小さな子どもたちがケンカをしている。

 親御さんが叱っている。

 思いどおりにならなくて泣いている…。

「泣いて何とかなるんだったら、おれも泣きたいよ、あんな風に…。」

 大人な対応だなぁと思ったけど、それが本音だよね…。

 ごめんよ〜〜!

 ご近所の声は、なおも続く。

 昔はうちもあんなだったよなぁ。

 子どもが3人もいて、それぞれが個性的だったんだもの。

 ひと休みして、大人だけの家庭というのも穏やかでいいなぁ…。

 午後、娘が孫を連れて遊びにきた。

 よちよちと歩きながら、興味のあるものを手当たり次第に触ろうとする。

 その一挙一動に目を細めたり慌てたりする大人。

 思い通りにさせてもらえないと不満そうな声を上げる孫。

 いつの間にか、賑やかなご近所の仲間入りしている!

 子どものいる生活も、たまにはいいなぁ…。

日々のあれこれ2004年エッセイ集より

 その日、15年使い続けていたガラス製の麦茶ポットの底があっけなく抜けた。冷蔵庫のドアポケットから出そうとして、隣にあった別のガラス瓶とぶつかったときだった。

 いっぱいに入っていた1リットルの麦茶は、なす術もないまま、一瞬で冷蔵庫の前の大きな水たまりになった。

 昨年まで夏を過ごしていた北海道とはまったく違う夏の暑さ。成長する子どもたち。容量に限界を感じていた。そろそろ見切りをつけようかと、2リットル入るものを買ってきたばかりだった。

 捨てるのもしのびないから、冬にでも使おうかな…。

 頭の隅でそんなことを考えていたのに。

 拭き始めてすぐに娘が帰ってきた。

「何があったの?」

 たった今あったことを話すと、

「新しいのが来るまでがんばってくれたんだなって思いなよ。」と言う。

 長年付き合ってきた物への喪失感もさることながら、今の私にとって、目の前の“麦茶だまり”を何とかすることの方が切実な問題なのに!

 憤りを感じながら、雑巾で吸ってはバケツに絞り入れる作業を繰り返した。

 冷蔵庫の前の床を拭き終えてから、ドアポケットを外した。普段だと、何かをこぼしてもそれを拭き取る程度だが、今回ばかりは取り外し、流し場で洗剤をつけて洗った。

 すっかりきれいになったドアポケットに、新しい麦茶ポットをはじめとした瓶やパックが無事に収まると、少し清々しい気分になった。

 さて次は、冷蔵庫の中と外に飛び散った茶色の点々。せっかくの機会だと、今まで見過ごしてきた汚れにも手を伸ばす。

「冷蔵庫って、気づかないうちにこんなに汚れているものなんだ。」

 白く、明るくなっていく姿にウキウキしてきた。

 冷蔵庫の足下や床との隙間は厄介だったが、雑巾を這わせて差し入れてみた。引き出してみると、

「おお!」

 大きなホコリの塊がくっついてきた。

 周辺の床や家具をひと通り拭き上げ、ホッとひと息ついた。1時間前よりも確実にきれいになっている台所の一角を、言い知れぬ充実感と共に眺めた。

 ちまちまとその場限りで取り繕っているのも楽だが、たまには思い切ってザブザブ洗ってみるのも良いものだ。

 そういうことって、結構あるよなぁ。人間関係とか…。

 気持ちに余裕ができるとあらためて、さっきの娘の言葉が思い出された。

「新しいのが来るまで頑張ってくれた。」

 買ったのは、まだ独身の頃だった。一人暮らしから今日まで、家族が増えていくのを見守って来てくれた。

 世代交代という引き際を見誤ることなく、いくつかの教訓を遺して去って行くなんて、ちょっと心憎いなぁ。

 なんせ、長い付き合いだったから…。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました