日々のあれこれ

 このブログを開設して一年が経ちました。

 当初から、週末に一度の更新ペースでしたが、昨年の今頃は、その度に頭を抱えていました。

 「画面がイメージ通りに配置できない!」

 「この画像、消したはずなのになんで残ってるの?」

 カタカナの用語にも泣かされました。

 「サイドバー?」「ウィジェット?」「カラム??」

 つまずくたびに、ひと様が上げてくれている情報を探して解決したり、分かった気になって、あれこれといじっているうちにかえっておかしくなって落ち込んだり…。

 これまでの知識が役に立たない土俵で試行錯誤するのは久しぶりでした。なんとも言えない不安感と、解決できたときのワクワクは、どちらも新鮮でした。

 最近覚えて悦に入っているのは、文中にリンクを貼ること…。

 まだ、そんなレベルです(汗)。

 若手のお笑い芸人さんが言っています。

 「やれば、できる!」

 上手にできるとは限りません。

 大成功をおさめられるのは世の中の一部の人でしょうし。

 やらなかったよりも、ほんの少しのプラスがあれば、それは「やったからできたこと」だと満足していいはずなのです。

 「よく分からないけど、思い立ったから始めてみよう。」

 一年前の思いつきは、各駅停車のスピードで継続に変わっていきました。

 本来の目的である、「定年後の楽しみ」になるまで、果たして続けていけるのかな…。

日々のあれこれ

 今朝、何かがリセットされた

 日曜日だというのに、6時半に目が覚めた

 ベランダに飛んできていた枯れ葉を片付けた

 土曜日の恒例行事にしている掃除を、早い時間に終わらせた

 シーツを洗って一番陽の当たる場所に干した

 観葉植物に水をたっぷりとやった

 昨日の新聞の、別刷りに載ったパズルを解いた

 昨日は二度と繰り返したくない一日だった

 半日以上を病院で過ごした

 全くの予定外

 孫に会いに行く約束も果たせなかった

 健康診断に引っかかって、義務を果たす感覚で向かった再検査

 30分で終わるはずだった

 近所のクリニックで受けたが、思わしくない結果が出て大きな病院へとハシゴした

 2時間以上待って、血を採ったあと、機器を使う検査を2つも予約した

 来週と、もう一つは11月

 長い間拘束されるようで気が重くなった

 でも、ホントのところは自業自得

 週末のアルコールが美味しすぎて、ついついと量が増えた

 胆嚢の不調が続いて、医師から「取るという方法もありますよ」と言われたのに、上手に付き合っていけるからと取り合わなかった

 そんなおめでたい生活の副産物に違いない

 せっかくの週末なのに、自分のしたいことが全く出来ずに日が傾いていった

 もったいない一日だったと思うほどに落ち込んでくる

 何かのせいにしたくなる

 これが“不成就日”の実力なのか…

 こんな時って、できなかったこと、しなければならないことを数えてしまう

 早起きができたことに気を良くして、昨日の積み残しを次々とこなしていく

 どれも、それほど時間がかかることではないので、もつれた毛糸がほどけるように時間の流れが整っていく。

 今日は“一粒万倍日”らしいし!

 ちょっとしたことがきっかけで、「さあ、ここからはじまるぞ」と思えることがある

 こんな感覚、子どもの頃によくあったなぁと思う

 夏休みの初日

 カーテンを開けると雪景色だった朝

 風がひんやりして、枯れ葉の匂いがする朝もそうだった

 緊急事態宣言の解除で華やぐ街や店の報道を横目で見ながら、私の生活スタイルは、ハジケない方向にシフトしていく必要があるのだと、晴れやかな秋空を眺めながら覚悟した

ルコウソウは、可憐な野の花ですね。北海道では種をまいて世話をしても、うまく育ちませんでした。

日々のあれこれたどり着いた視点

 周囲を見回しても、テレビの報道番組を見ていても、なんだかみんな、自分の事情を語りすぎです。

 こんな時期ですから、何かしらの事情を抱え、折り合いをつけながら生活しているのはみんな同じです。

 その中で、「自分の事情は特別」とでも言うように、長々と話し、

「容赦してほしい。」

「配慮してほしい。」

「理解してほしい。」

「それは仕方がないですねと、承認してほしい。」

そんな言葉を口に出すことはないけれど、そう期待している人を何人も見ました。

 慎重に対応しなければならないケースはもちろんありますが、ほとんどは、大人が自分で判断して行動しているのですから、そんなに詳しく話してまで理解を得る必要がないことばかりです。

 観光地やスポーツ観戦に出かけて来た人に、報道関係者がマイクを向けます。

 決まり悪そうに答える一般市民は、それぞれの事情を語ります。

 念を押すように、文節ごとの語尾を上げて話す人は、言い訳のような印象を与えます。半疑問系を繰り返して話す人は、相手がその度に頷いてくれることで、安心したいのでしょう。

 大人なら、自分の決定にもっと自信や誇りをもっていいはずなのに。インタビューを受けたくないと、突っぱねるという選択肢だってあるのに。

 報道側も、見ている側が苦笑してしまうようなインタビューを、何のためにして、わざわざ全国に放送しているのでしょう。

 周囲に自分の事情を分かってほしいと願うのは、幼く、未熟な心理だと思うのは私だけでしょうか。

 むやみに周囲に理解を求めない。無責任な言葉に頼るより、自分の意向は自分で冷静に見極める。

 そんな「自己完結」の境地になれたなら…。

 まだやっと、そういうゴールがあることに気づいて、遠くにちらっと見たかなぁというところですが。

チングルマという高山植物。
不思議な花!と思ったら、咲き終わった後の姿でした。