日々のあれこれたどり着いた視点

 とても疲れる会議があります。

 話し合っても議論が進まず、ときに話題がそれてしまう。最後には時間切れで終了するしかなく、時間をかけた割には、結論が曖昧なままで、共通理解はできたのか…。

 参加者がみな経験の多い大人なのに、こんな結果が続いたときには、会議に無駄な時間を裂かれるストレスにいたたまれない気持ちになります。


 話し合いが長くなると、内容もさることながら、話し手の心理に関心が向いてしまいます。誰も口を挟む余地がないほどに、一方的に自分の考えを話し続ける人がいると、非常識ながら退屈になり、意識が話の内容以外に向かってしまうのです。

 この人は、自分のために話しているんだ。聞いている相手の反応を見ていないから、途中で意見を言いたい人、理解できずにいる人の表情に気づいていない。自分の意見の正しさをあらゆる方面から説明しようとするので、どうしても話が長くなる。

 話したという事実を作るために話して、後日、いざというときに言うのです。

「あのとき、話しました。」


 もちろん、相手のため、聞き手のために話す人もいます。

 自分が話しているときにも、参加者のリアクションをきちんと見ていて、質問がありそうだとか、理解が滞っていると感じると、話を途切らせて話の主導を相手に移すということをしてくれます。

 そうして得られた結論は、当然、共通理解がなされ、その後に支障をきたすことが圧倒的に少ないのです。


 かく言う私は、ついつい話が長くなりがちで、「簡潔に」とか、「枝葉を省いて」などと自分に言い聞かせ、戒めている毎日です。理想とする姿は見えているものの、そこに近づくには、まだまだ長い道のりだと途方に暮れてしまいます。

 当然、然るべき相手に向かって「あなたの話は長いので…。」などと指摘する勇気もありません。

 ただ、こんな風に、意識の中で分類できるようになったことで、話し合いが堂々めぐりになったときにも、憤りを感じるばかりでなく、自分のあり方を見つめ直すゆとりがもてるようになりました。

日々のあれこれたどり着いた視点,母の一世紀

 仕事上の研修を受けていて、心を揺らされる言葉に出会いました。

 それは、「見捨てられなかった思い出」。

 そのときの講師の方が、以前先輩から聞いたという話です。


 子どもの頃、楽しみにしていた祭りの夜店に行くはずだったのに、夕方から眠り込んでしまった。目覚めたときにはすっかり遅くなっており、店も閉まっている時刻と思われ、行けずに終わった。悔しくて悲しくて、両親をはじめとした周囲の慰めや励ましを受け入れられずに、ただ泣き続けた。みんな呆れ果て、そっとしておこうということになったようだった。

 翌朝、兄が自転車の後ろに乗せて、行くはずだった神社の境内まで連れて行ってくれた。もしかしたら、まだ開いている店があるかもしれないと期待したが、そこには、片付けをしている光景が広がり、夜店はもう終わったのだと、納得するしかなかった。

 今、自分はこれを思い出して、悔しく悲しい気持ちが呼び起こされるのではない。

 自分の目で確かめさせてもらって納得できて良かった思い出、というものでもない。

 これは、「見捨てられなかった思い出」だ。兄が自分の悲しみに寄り添ってくれ、納得できるまで一緒にいてくれた、自分にとって温かく大切な思い出として記憶されている。と…。

 


 曽祖母を思い出しました。

 駄々をこねて家族を呆れさせ、感情の収め方も分からずに泣いていた私の隣に来て、黙って背中をさすっていてくれたものです。

 癇癪を起こして暴れ回った挙句に、私が送り込まれた「お仕置き部屋」から救い出してくれたのはいつも祖父でした。腕に抱かれたまま、遠くに見える電波塔の赤いライトを一緒に数えるうちに、いつの間にか気持ちが和んだものでした。

 私の不注意から間違えて捨ててしまった小さなおもちゃの部品を探して、何度も一緒にゴミを漁ってくれたのは母でした。

 これらの思い出を、こんな名前で呼ぶことができたなんて…!  

 日常の中でふとした瞬間に現れる、私が「見捨てられなかった思い出」は、こうして名をもらい、分類され、心の中での立ち位置が定まりました。

 次は私が誰かにそんな思い出を与えてあげる番なのでしょう。

はじめに,日々のあれこれ

 子どもの頃の私は、北海道の大自然に包まれながら、家族の愛を一身に受け、好奇心の赴くままに、生きている事を全肯定されて育ちました。

 ひいき目に見ても、可愛らしいとは言えない見た目、さらに負けず嫌いで意地っ張りという、愛されるべき性格でもないのに、三姉妹の末っ子だというだけで、ほとんどの「負」を大目に見てもらいながら、「私は特別な子なんだ」と勘違いしたまま育ちました。

 社会人となり、故郷を離れて仕事をする中で、様々な本を読み、研究者の話を聞いて、そんな私をあらためて肯定してくれる言葉に出会いました。

 「感性は大自然の中で育まれる。」

 「肯定されて育った人間は強い。」

 私の中にある、優しく美しい思い出が、今の自分を作っている一片一片なのだと振り返ったとき、一緒にいてくれた家族や、周りにあった風景への愛しさが、どんどんと溢れて来るのを感じました。

 名もない一人の人間の心を育てた、ささやかな出来事だけれど、誰かに知ってもらいたい。でも、私の幼少期を知っている人に知られるのは恥ずかしい…。そんな葛藤の末に、エッセイという形で書き上げた20篇ほどを、ペンネームを使って自費出版したのは16年前です。

 無名な上に、知人のほとんどに内緒にしているのですから売れるはずもなく、誰に読んでもらうでもなく静かに埋れていく予定でした。

 とは言っても、日常生活を送る中でふと愛しい思い出が蘇ると、頭の中がそればかりになり、ついついエッセイにまとめようとする自分がいます。せっかく思い出したのに、そうしないとまた忘れてしまいそうだと。

 そうやって、誰かに知ってもらいたい出来事は、しんしんと降り積もっていたのでした。

 世の中は大きく変わり、個人が発信できる手段を、複数の中から選べるまでになりました。

 そんな便利なツールを利用して、願いだった「誰かに知ってもらいたい。」を、再び夢見ることができる今に感謝しています。