感謝されなくてもいいや活動

日々のあれこれたどり着いた視点

 「された」ことには、誰でもすぐに反応して、相手に対して怒ったり、他の誰かに訴えたりします。

 一方、「してもらったこと」というのは、すぐに気づけない場合が多くて、ずっと後になってから思い返してみて気づいたり、失ってから気づいたりして、相手に感謝の気持ちを伝える術がなくなっていることもしばしばです。

 でも、後になってからでも気づけた人は幸せです。

 「してもらった」ことを当たり前だと思って生きてきた人は、「してもらえない」状況に不満をもつことしかできません。誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりと悪者探しを始めます。

 自分を可哀想な被害者にしておくのに夢中で、してもらえていたときの幸せに気づけるはずもありません。

 自分の立ち位置を振り返ります。

 歳を重ねてきてやっと、幼かった頃、若くて未熟だった頃に家族にしてもらったことが、感謝の気持ちとともに思い出されます。

 その気持ちに応えるような言葉も態度も返してこなかったことも…。

 だからといって、まだ伝える猶予が残されている父や母に対して、今さらバツが悪くてとても「ありがとう」なんて言えそうにありません。

 そんな自分に言い訳をするために、いつの頃からか、「感謝されなくてもいいや活動」をするようになりました。

 家庭でも職場でも、それなりに役に立っていると自負していますが、相手からの感謝は期待しない。離れて暮らしたときに、職場の異動があったときに思い出して気づいてもらえれば、少し幸せ…☺️

 感謝の気持をもてたなら、その時一緒にいる人に、同じようにしてあげてくれたらいいや…、くらいの気楽さで。

 学生時代に観た「ペイフォワード」という映画を気取っているようでもあります。

 こんなので、両親に「ありがとう」を言えなかったことを後悔しないでいられるかには、自信がもてませんが。

支え合っているようであり、依存しあっているようであり