日々のあれこれたどり着いた視点

 最近になって、土曜日が「0点の日」になることが増えました。

 「休日のルーティーン」と呼んでいた掃除や雑務など、気が乗らないことはやめにして、やりたいこと(中でも生産性のないこと)だけをダラダラやって、気がつくと夕方になっているような…。

 YouTubeで音楽を垂れ流す。タブレットやパソコンでゲームやパズルを止め処なく続ける…。我ながら、「こんなに続けられるものなんだ。」と感心してしまうほどです。

 幸せなことに、土日は確実に近い割合で、仕事を休んで2連休を満喫できる状態が何年も続いています。

 「せっかくの休みなのに…。」「もったいなかったなぁ。」

 元気が有り余っていた頃は、そんな口惜しい気持ちで一日を終えることもありました。

 そんな気負いを捨てることにした頃から、0点だった土曜日が、自分らしく過ごせた一日だと思えるようになりました。わがままを許してもらった子どものように、次のやる気が湧いてきます。(単純?)

 そうして、日曜日。

 元気の戻った私は、休日のルーティーンとしてblogを更新し、この後、掃除機を持ち出します。

 リセットの日 の頃に比べたら、少しは考え方が柔軟になってきたかなぁ。

 ついでに、「0点の日」だなんてマイナスイメージな呼び名もやめて、自分を大切にしている感のある名前を考えてみようかな。

春は、シダの葉も、花のように広がります

日々のあれこれたどり着いた視点,導いてくれた歌

「捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ」

 さだまさしさんの、「檸檬」。サビの部分です。

 この歌詞に心を動かされたのは10代の頃で、別れ際に見せる、こんな思い切りの良さに、憧れのようなものを感じました。

 とは言っても、それまで持っていたものを、こんなに大胆に切り捨てられる勇気など、持てるような日が来るとは思えませんでした。

 この春、数年に一度の大きな別れがありました。

 人事異動です。

 今回は、慣れた場所や人と離れ、おそらく、知人が一人もいない場所でのスタートになります。

 名残惜しくても、寂しくても、最後には自分で決定したこと。

 大切に関係を築いてきた人たちの記憶から、お互いのことがだんだん薄まって消えていくのも、それぞれにとって必要なことのように思えます。

 何度か繰り返してきたこうした別れに、ずいぶんたくましくしてもらったんだなぁと感じています。

 感謝の気持ちを込めながら、未練を残すことなく別れを告げようと思います。去り際も、「檸檬」を見習って。

「消え去る時には こうしてあっけなく 静かに堕ちてゆくものよ」

心なしか膨らんできました。
「カポックの花が」のカテゴリーも、そろそろ更新したいものです。

日々のあれこれたどり着いた視点

「愛」の字に 込めた想いは 時を経て

         永遠(とわ)と刹那に 分かれてゆけり

ななえ 詠

 昨今のニュースに、こんな考えが頭をよぎる人が多いのではないでしょうか。

 心が未熟なまま親になり、そのときの「ノリ」や「思いつき」で、見た目の良い文字を当てた、新鮮な響きの名前を選んだのだろうと。

 自分の身に起こっていることの原因も分からず、それが「悲しい」とか「辛い」という感情だということにも気づかない子もいたでしょう。

 この先、自分は成長して、こんなのではない未来が待っているという希望などもてるはずもなかったでしょう。

 ただ生きて、苦しんで、目を閉じてしまった小さな命に、胸が痛くなるばかりです。

 それでも、「愛」の文字を与えたその瞬間には、それぞれに決意があったと思いたいです。

 一年近くも胎内で育て、自分と同じ体温でこの世に生まれてきた命を愛おしく思うのは、生き物の本能ではないでしょうか。

 その命は、祝福されて、この世界に歓迎されて生まれてきたのだと、言葉が分るようになってから、ちゃんと伝えてあげてほしかった…。

 そのときの決意を、「永遠」へと続けている方々もたくさんいらっしゃる中、「刹那さん」への思いを中心に書いてしまったことをお許しください。