アルバムを断捨離

 そもそも、私が大量の写真整理やアルバムに悩まされる原因となったのは、元夫…。子どもたちの父親でした。

 写真好き、カメラが趣味という人は世の中にたくさんいますが、元夫の場合は別の要素も入っていたように思います。

 誕生日などのイベントや日常の何気ないシーン。全てをガラス越しに見ていました。たとえ、こちらで私が子どもたちに手を焼いていても、困っていても、私の耳には目の前で起こっている騒ぎと少し離れた所からのシャッター音だけが聞こえていました。

 たまに、子どもを散歩に連れ出してもらっても、決まってカメラを携えて行きました。転んで膝から血を流し、泣きながら帰って来た子の後ろから、カメラを大切そうに抱え、不機嫌な表情で戻って来たこともありました。

 ガラスの向こう…。テレビの向こうのように、生々しい息づかいや匂いまでも伝わって来ない、よそよそしい世界の中で、あの人は、子どもたちにとってどんな存在になりたかったのでしょう。

 名誉のために一つ付け加えるなら、写真の腕は確かでした。

 嫌味ばかり言ってもしょうがないと思い、それを褒めると…。

 こうして、アルバムは着々と積み上がっていったのでした。

 恨みがましいことが蘇って苦笑いしたり、手にした写真の懐かしい出来事に思いを馳せたりしているうちに、思い出は凝縮され、いいとこ取りのダイジェストになって、新しい、とっておきの置き場所に重ねられていきました。

「手に余る大荷物」が、「手塩にかけた宝物」へと華麗に転身していく…。そんな感覚でした。

 土日のどちらかの小一時間を一冊の整理に費やし、火曜日に処分するというルーティーンはすんなりと定着し、物入れの中の平らなブロックを積み重ねたような「塔」は、一か月に30cm位ずつ縮んでいったのです。

カラスウリの花を発見!もうすぐ咲きそうでした。
腕がよければ、もっと良いのが撮れたのでしょうが…。

アルバムを断捨離

 子どもたちが生まれてからのアルバムは五十数冊…というところでしょうか。1冊に200枚くらいの写真が貼ってあるので、一万枚は軽く超えている計算になります。

 十五年足らずでそうなったのですから、カメラマニアというか、よほどの写真好きがいたことは間違いありません。

 その話題は後日ということにして、いよいよ“本題”に立ち向かう時がきました。

 一冊目。

 一歳に満たない長女の可愛らしい姿…。

「こんなの本当に処分できるのかな…。」

 それでも、何とかこの一冊を越えて、これからの一年に弾みをつけなければ!

 かなりの時間を要して、心を鬼にして、200枚の中から選りすぐりの20枚を選び、粘着性が強くなっている台紙から注意深く剥がし取りました。

 落ち着いて見ると、ピンボケの写真や、表情の微妙なものまで律儀に貼ってあったのもあり、取捨選択が苦しいと感じたのは、ほんの一時的なものでした。

 剥がされた“名作”たちは、新しく買った厚手の台紙のアルバムに、年代順に貼ることにしました。重いけれど、大切に残そうと思ったら、やはりこのタイプのアルバムが適任なのだと感じたのは、この作業で写真の保存状態の良さを再確認したからです。

 この分なら、5冊くらいにまとめられるかな。

 単純計算では、“1冊につき20枚前後”を守れば達成できそうな目標です。

 選び終わって、処分に回った写真の貼られたままのアルバムは、一般ゴミに出されるべく、新聞紙で包まれました。そのまま燃やされると思うと申し訳ない気持ちになったので、清めるつもりで塩をひとつまみ入れました。古いものを動かすときに唱えると良いと聞いたことのある、おまじないの言葉まで呟きながら…。

 塩が良かったのか、おまじないが効いたのか、子どもたちに悪いことが起こることもなく、一冊目のアルバムが処分できました。

 この調子なら、来週、二冊目を手がけることができそうだなと、目の前が少し明るくなった気がした日でした。

アルバムを断捨離

 最初に手がけた、一番古いアルバムに貼られていたもののほとんどは、祖父が撮ってくれたモノクロ写真でした。

 私は、小さい頃から、このアルバムが大好きで、写真を撮ってもらうたびに好きな順に貼り替えたりして、気ままに扱っていました。

 表紙も、中の台紙も汚れて、擦り切れているところもありましたが、このアルバムだけは、ばっさりと切り捨てるのが忍びなくて、30cm角の小型アルバムにまとめることにしました。

 お気に入りだった表紙の写真を撮って、1ページ目に貼り、20枚ほどの写真を選んで収めました。

 こんな時代ですから、スマホで撮ってデータとして残すという効率的な方法もあって迷いました。

 でも、私の根本にあるのはアナログ世代の価値観です。ヨレた印画紙とセットになった思い出を、手元に置いておく方を選びました。

 このくらいのサイズなら、いつか本気で終活をしようと思ったときに、何とでもなるでしょう。

 こうして、4~5冊あった1包目は、小型アルバム1冊に変わりました。

 若い頃の“証拠隠滅”も完了して、少し身軽になった気がしました。


 でも、それからが本番でした。

 子どもたちの可愛い写真の大半を切り捨てるというのは、とても勇気のいることに思えたからです。