奇跡のような軌跡

 「夢のお告げ」というようなものを、そこそこ信じています。

 これまでで一番感謝している夢は、大きなヘビが何匹も、次々に鎌首をもたげて、うねりながらこちらへ這って、近づいて来るというものでした。

 金運が上がるかな…と、喜んだのを覚えています。

 こちらに越そうと決心する前後のことで、不安だらけだった私に、根拠のない自信を与えてくれました。

 その後のことは、以前書いた通りです。(一緒に生きようと)

 思春期を迎えた息子の生活ぶりが荒れて、途方に暮れていた時には、真っ青な海に息子が沈んでいく夢を見ました。

 「危ない」「やめなさい」と必死で訴えている私の言葉も聞かずに、海に浮かんだ真っ白な流氷の上に立った息子は、氷の割れ目から一瞬のうちに沈んでいきました。

 激しく動揺しながらも、私は心のどこかで、きっと自分で這い上がって来ると信じていました。

 粋がって着ていた分厚い服が、次々に脱ぎ捨てられて、青い水面に浮いて来ました。最後にざばぁっと浮び上がった息子の手を掴んで、グイと引き上げ、温かい毛布をかけたところで目が覚めました。

 その日を境に…とはいいませんが、子どもの反抗期ですから、気づくと治まっていました。

 「信じていれば、いずれ…」と、思わせてくれた夢でした。同時に、助けを求められたら、絶対に手を掴もうと決意した夢でもあります。

 人生の節目に見るこうした夢は、決まって色鮮やかで、目が覚めても忘れることなく強く心に残っています。そして、何度も励まされてきました。

 振り返ってみると、私の色つきの夢は「お告げ」や未来予想などではなく、自分の決意を表しているのかなとも思えてきます。

 もうすぐ、2022年を迎えます。一度で良いから、富士山の初夢を見たいものだと思っています。

来春は、遠出ができますように

日々のあれこれ歳時記

 もうじき冬至を迎えます。

「太陽の誕生日」とはよく言ったものです。

 南中高度が一番低くなる日。つまり、ここからまた高く仰ぎ見る太陽へと転じていくのです。

 でも、日の出や日の入り時刻はそれに準じていなくて、日の出が最も遅いのは、年が明けてからだと知ったのは、ずいぶん後になってからでした。

 いつの頃からか、太陽の動きが気になって仕方がなくて、新聞の太陽と月の動きの情報欄を切り抜いてノートに貼り付けたり、日の出ている時間を計算して書き込んだりということを2年間続けたことがありました。

(2年やってみたら、ほぼ同じなのだと納得できたのでやめましたが…)

 そこで得た、前向きになれる情報は、「冬至よりも半月ほど前に日没は底を打つ」ということです。

 定時に仕事を終えたのに、すでに辺りが暗くなっていると、なんだか残念な、心細い気持ちになります。

 そんな時に、「今日より明日は少し明るくなっているはず」と思うだけで元気が出ます。(単純なので…)

 今日の日没は、一番早かった12月の初めよりも、3分くらい遅くなっています。

 この休日も、日差しの暖かさを満喫します。

アナログすぎて、お恥ずかしいですが

子どもの頃のこと歳時記,母の一世紀

 子どもの頃のクリスマスツリーは、イチイの生木でした。

 12月のある日、学校から帰ると、居間の隣の部屋にそれが“ドン!”と置いてあって、姉たちと飾り付けをするのが恒例でした。

 チクチクした葉とのせめぎ合いも、部屋中に立ち込める木の匂いも、近づいてくる楽しみな時間の演出として、大歓迎していました。

 夏のある日、姉が家の裏にある私の身長程のイチイの木を指して、

「これ、去年のクリスマスツリーの木だよ。」

と言いました。

 呑気だった私は、すぐには理解できませんでした。

 雪で覆われた真冬なのに、当たり前のように生木が現れたこと。

 クリスマスが過ぎると忽然と姿を消したこと。

 ツリーの下のタライから水が染み出して、慌てて拭き掃除をしたこと…。

 考えを巡らせて、やっと合点がいきました。

 夏に木の成長を見ながら目星をつけておき、時が来たら雪の下から土ごと掘り出して、家に運び入れる。終わったら、元に戻して木を休ませる。木をローテーションしながら、毎年そんなことを繰り返していたのです。母が、ほとんど一人で!

 早くに両親を亡くした母は、兄姉たちと親戚の家で育てられ、高校へ進学するという選択肢はありませんでした。

 そのせいか、自分の能力に関してあまりにも謙虚で、子どもに「勉強しなさい」と言うこともなければ、さまざまな要求もしませんでした。

 そんな母が唯一「絶対」をつけて、念を押すように何度も言った言葉は、

「子どもとした約束は、絶対に守りなさい。」です。

 約束の言葉を交わしたかどうかに関わらず、子どもが楽しみに、期待している気持ちを決して裏切ってはいけない。子どもは素直な分、大人よりも大きく傷つくのだから…と。

 その気持ちが、毎年大変な労力を使ってクリスマスツリーを用意する、原動力にもなっていたのでしょう。

 そんな背中を目の当たりにしてきた私は、一点の迷いもなく“教え”を守る努力を続けます。

 母が可愛がってきた孫たちのためにも。

 母が、まだ会うことの叶わないひ孫のためにも。

なんだか、視線を感じたら…