母とクリスマスツリー

子どもの頃のこと歳時記,母の一世紀

 子どもの頃のクリスマスツリーは、イチイの生木でした。

 12月のある日、学校から帰ると、居間の隣の部屋にそれが“ドン!”と置いてあって、姉たちと飾り付けをするのが恒例でした。

 チクチクした葉とのせめぎ合いも、部屋中に立ち込める木の匂いも、近づいてくる楽しみな時間の演出として、大歓迎していました。

 夏のある日、姉が家の裏にある私の身長程のイチイの木を指して、

「これ、去年のクリスマスツリーの木だよ。」

と言いました。

 呑気だった私は、すぐには理解できませんでした。

 雪で覆われた真冬なのに、当たり前のように生木が現れたこと。

 クリスマスが過ぎると忽然と姿を消したこと。

 ツリーの下のタライから水が染み出して、慌てて拭き掃除をしたこと…。

 考えを巡らせて、やっと合点がいきました。

 夏に木の成長を見ながら目星をつけておき、時が来たら雪の下から土ごと掘り出して、家に運び入れる。終わったら、元に戻して木を休ませる。木をローテーションしながら、毎年そんなことを繰り返していたのです。母が、ほとんど一人で!

 早くに両親を亡くした母は、兄姉たちと親戚の家で育てられ、高校へ進学するという選択肢はありませんでした。

 そのせいか、自分の能力に関してあまりにも謙虚で、子どもに「勉強しなさい」と言うこともなければ、さまざまな要求もしませんでした。

 そんな母が唯一「絶対」をつけて、念を押すように何度も言った言葉は、

「子どもとした約束は、絶対に守りなさい。」です。

 約束の言葉を交わしたかどうかに関わらず、子どもが楽しみに、期待している気持ちを決して裏切ってはいけない。子どもは素直な分、大人よりも大きく傷つくのだから…と。

 その気持ちが、毎年大変な労力を使ってクリスマスツリーを用意する、原動力にもなっていたのでしょう。

 そんな背中を目の当たりにしてきた私は、一点の迷いもなく“教え”を守る努力を続けます。

 母が可愛がってきた孫たちのためにも。

 母が、まだ会うことの叶わないひ孫のためにも。

なんだか、視線を感じたら…