縄を綯(な)う
大晦日です。
たいそうな事はしていませんが、新年を迎える準備はできました。
昔…私が子どもの頃は、お正月を前に、毎年「たいそうな事」をしていて、慌ただしかったのを覚えています。
クリスマスを過ぎると、障子の張り替えが待っていました。主に祖母の仕事で、子どもたちが手伝いました。
作業の初めに、古い障子を遠慮なく破ることができるという「山場」を越えてしまい、そこから先は修行でした。
暮れが迫った頃に、納屋で餅つきをしました。餅つき機が登場する前は、杵と臼でついていました。
父や祖父の力強かったこと!氷点下の屋外で、白い湯気をもうもうと上げながら、瞬く間に米が餅になっていきました。
出来上がった餅は、みるみる冷えていくので母や祖母の手で、手早く丸められたり、のされたりしました。もちろん私は、出来立てをつまみ食いしました。
まだ柔らかい餅で、「餅花」飾りもしました。「小さく、たくさん。」と言われても、後半には早く終わらせたくて、一つ一つがどんどん大きくなってしまいます。正月の間に枝が重みで下がっていくのを見て、少しだけ良心が咎めたものです。
曽祖母は仏具磨きをしました。当然、私も手伝いました。
曽祖母の大切な仏壇がピカピカになり、クレンザーの匂いが仏間に漂っているのも、正月の風物詩でした。
これらの思い出は、どれも建て替え前の旧家屋が背景です。
家を新築してからは、家の造りが変わったことや、みんな歳をとったこともあって、少しずつ縮小へと様子が変わっていきました。
そんな中、あるとき両親が突然、注連縄を手作りし始めた年がありました。
どんな物でも手作りするのが好きな母が、どこからか方法を聞いてきたのでしょう。
二人で額を寄せ合い、あれこれと相談し、声をかけてタイミングを合わせながら…。
仲の良い両親だとは思っていましたが、
これほどまでに気が合うんだ。
価値観が似ているんだ。
お互いを信頼しているんだ。
と、つくづく思える姿でした。
今の、私のささやかな年越しには、たいそうなイベントも、愛着溢れる手作りもありません。
でも、こうやって、誇りに思える家族の中で育ったことを思い出して、幸せな気持ちになれます。この時季は、活気のあった、それぞれが元気だった姿に思いを馳せる大切な時間なのです。
あのとき、父と母は、仲良く縄を綯っていました。捻って撚り合わせながら、どんどん注連縄の形に近づいていく藁に夢中でした。
私は、なんだか懐かしい気持ちでそれを眺めていました。家族みんなでお正月を迎える準備していた昔が甦ったような気がしたのかもしれません。
そして今、父と母の注連縄は、私の中で、愛しい記憶を撚り合わせながら、まだ綯われ続けています。細くなったり、また、太くなったりしながら。
この一年、私の思い出話や、ときには愚痴に付き合ってくださったみなさん、ありがとうございました。
どうか、良いお年をお迎えください。