同じ空の下導いてくれた歌

 「同じ空の下」で検索すると、高橋優さんをはじめ、「名前がかぶってごめんなさい」と謝るしかないレベルで、才能溢れる皆さんの曲や作品が表示されます。

 サイトを立ち上げたのが2019年の秋なので、明らかに便乗した感じになってしまい、さらにごめんなさい。

 立ち上げ当初に、祖父が亡くなったときに打った弔電が、サイト名の由来になったことを書きましたが (関連同じ空の下 )、その元になったイメージをくれたのは、安全地帯の「夢のつづき」という曲でした。

  あの日そろいの帽子は どんな街角にいても

  一つに広がる 空を知っていた

 1980年代のアルバムに入っていた曲だと思いますが、玉置浩二さんの、囁くようにな歌声が心に語りかけます。

 大切な思い出を、あまりにも丁寧に、こんな視点をもって表現できるんだと、心がふるえました。

 この機会にとYouTubeで探したら、色々なバージョンで公開されたものがありました。

 私はやはり、初期のシンプルなものが好きです。

アマリリスです。ひと株から、花芽が二つ出ました。良い春になりそうです。

日々のあれこれ歳時記

 大げさに表現するとこうなりますが、つまりは「風」のことです。

 大人になって、ふと気づきました。

 風の強い日が苦手です。

 そんな話を、以前友人にしたら、

「何事にも動じなさそうに見えるのに、風ごときが苦手なの?」

と、笑われました。

 髪がなびいて、顔に不規則にかかるのがイヤ。

 目にナゾの粒が入るのがイヤ。

 行こうとする方から吹きつけて、少し前のめりに歩くのもイヤ。

 後ろから押されて、自分のペースで歩けないなんて、大きなお世話。

 ここに置いたはずなのに、いつの間にか遠くに移動して落ちているモノを拾いに行くときには、腹立たしささえ感じます。

 そこにあるのが、ただの「空気」とは思えません。一つの大きな塊としての「大気」という言葉がぴったりです。

 4月から5月。

 この地域では、毎年その「大移動」があって困ります。

 私が吐いた二酸化炭素も、何処かから来た良からぬウィルスも、一瞬のうちに巻き込んで、遠くへ運んでしまう「お手柄」を考慮しても、やはり好きになれそうにありません。

 今日は久しぶりに、大気が緩やかに移動しています。

 洗濯物が静かに揺れて、大気と仕事に急かされ続けた一週間の疲れを癒してくれています。

普段は周りに水が流れていて、
シシ神さまが夜の徘徊から戻って来る場所のようです

日々のあれこれたどり着いた視点

 最近になって、土曜日が「0点の日」になることが増えました。

 「休日のルーティーン」と呼んでいた掃除や雑務など、気が乗らないことはやめにして、やりたいこと(中でも生産性のないこと)だけをダラダラやって、気がつくと夕方になっているような…。

 YouTubeで音楽を垂れ流す。タブレットやパソコンでゲームやパズルを止め処なく続ける…。我ながら、「こんなに続けられるものなんだ。」と感心してしまうほどです。

 幸せなことに、土日は確実に近い割合で、仕事を休んで2連休を満喫できる状態が何年も続いています。

 「せっかくの休みなのに…。」「もったいなかったなぁ。」

 元気が有り余っていた頃は、そんな口惜しい気持ちで一日を終えることもありました。

 そんな気負いを捨てることにした頃から、0点だった土曜日が、自分らしく過ごせた一日だと思えるようになりました。わがままを許してもらった子どものように、次のやる気が湧いてきます。(単純?)

 そうして、日曜日。

 元気の戻った私は、休日のルーティーンとしてblogを更新し、この後、掃除機を持ち出します。

 リセットの日 の頃に比べたら、少しは考え方が柔軟になってきたかなぁ。

 ついでに、「0点の日」だなんてマイナスイメージな呼び名もやめて、自分を大切にしている感のある名前を考えてみようかな。

春は、シダの葉も、花のように広がります