日々のあれこれ歳時記

 植物を育てるのが上手い人は、「緑の手」を持つと聞いたことがあり、観葉植物をはじめとして、1年中ベランダで、何かしらの植物を育てている私は、一種の憧れのようなものを感じてきました

 「どんなことをしても、よく育つ」「植物と対話ができる」など、人知を超えた能力をもっているみたいで、羨ましい限りです

 そんな私に、「少しの間、緑の手気分を味わえる時季」がやってきました

 アマリリスが花盛りです

 2月頃に球根を掘り返して、古い根を掻き落とし、新しい土に植え直すだけ ひと手間ですが、その努力に余りあるほどの、大きな立派な花が咲きます

 脇芽が出るたびにそれを移植して増やしたので、5株ありますが、今年は、そのうち2株も2本ずつの花芽を伸ばしました

 朱色の花が、ほぼ一斉に咲くのを眺めるのは壮観で、この時ばかりは、自分も「緑の手」を持っているのかもしれないと、自惚れてしまいます

手前右の花は、残念ながら盛りを過ぎてしまいました

 カポックも着々と開花に向かっていますし、増え続けるキンセイマルにも、気づくと花芽が3つも出ていました 今年の「緑の手」期間は意外と長なるのかも…

1週間で、さらに開きました
動物の耳風な、可愛い位置の花芽です
調子に乗って、コキアも育ててみることにしました

カポックの花が

 少し前に、安全地帯の歌について書いたので、今回もそれにあやかったタイトルにしましたが、歌詞には関係のない内容です。ごめんなさい。

 「じれったい」のは、カポックの開花までの道のりです。

昨年の12月21日

 冬に向けて、剪定をしていて気づきました。この状態になるまで気づかなかったことに、少し落ち込みました。

1月30日

 写真が下手でごめんなさい。

 1か月以上経っても、ほとんど変化なし。やはり、気温の影響は大きいのでしょう。

4月10日

 暖かくなって、やっと変化が目に見えるようになりました。

 25年前には、4月にはもう咲いていましたが、(関連 思い出のしおり )北海道の家の中で育てていたので、このペースが自然界としては正しいのでしょう。

4月29日

 アスパラのような“節”の部分が開いて、そのひとつひとつから、花芽が出始めました。

5月14日

 花芽がいよいよ開いてきました。これが伸びて、さらに枝分かれをしていきます。

 ここまで半年!

 子育て中だった前回は、毎日が慌ただしかったのもあって、そんなこと感じた記憶がありませんが。

 ああ、じれったい…。

日々のあれこれたどり着いた視点

 平面上で指を動かすだけで、ほとんどのことが調べられる。

 既知、未知を問わず沢山の人とコミュニケーションが取れる。

 ぼんやりする時間など作らないほどに、数えきれない娯楽を与えてくれる。

 これだけで、何のことを言っているのか分かります。

 その有用性についても、弊害についても、それこそ少し調べればいくらでも情報が得られます。

 その中にあるのか、ないのか、調べてもいませんが、世の中の“謙虚”や“感謝”の概念が何となく薄まっているように感じます。

 そのツールを使いこなしたことで、自分には特別な才能があると思い込んでしまう。

 指一本で、強大な敵を打ち倒す破壊力を得たつもりになる。

 その分野で遅れを取った人たちを、侮ったり蔑んだりして、優越感に浸ろうとする。

 小学生以下の小さな子どもから、いい大人まで、たった今、自分の身の周りで起きている現実を正しく認識することに、無頓着になってはいないでしょうか。

 技術を駆使して敵を倒したのかもしれませんが、そのゲームを開発した人たちと、みんなで遊ぶために配信できるようにした人たちが素晴らしいのです。

 インターネットで注文した食事にも、それを調理した人と届けてくれた人がいるのです。また、そのシステムを構築した天才的な人たちがいるのです。

 私たちの多くは、誰かの多大なる才能と努力の恩恵を受けているだけの、その他大勢の凡人なのです。

 もの心ついたときからそんな環境が出来上がっている子どもたちに、こうした事実と、それに向き合うときの“謙虚”と“感謝”を正しく教えるのは、私たち大人の急務ではないでしょうか。

GWは、久しぶりに千葉県へフェリーで渡り、海沿いを散策しました